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勉強ができることの功罪 時代が生んだ歪んだ価値観の正体

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けんすけ@生涯現役
「60にして立つ」
30年遅れで不惑を目指す

 

唐突な告白だが、
私は勉強ができた。

できたと言っても中学の頃の話だ。

中学のテストなど、
その気になれば誰にでもできる。

ただ、人それぞれ、やりたい事が違っていて、
勉強以外に興味が向いている子もいる。

私はたまたま勉強が好きだった。

ただそれだけのことだ。

 

だが、当時は「詰め込み教育」の最盛期で、
勉強ができることが「いいこと」とされていた。

今はどうだか知らない。

今回は、その作られた価値観が、
私の人生に与えた影響について書いてみよう。

唯一得意なこと

私は運動が苦手だった。

体育の成績は5段階で「2」が通常運転、
「3」が取れれば大成功だった。

絵も下手で、美術の時間が苦痛だった。

どんなにがんばっても、幼稚園生のような絵しか描けない。

同級生が大人のようなキレイな絵を描いているのが、
とても羨ましかった。

音楽は好きだったが、
変声期のせいで歌が全く歌えなくなっていた。

 

そんな私が唯一できたのが、
ペーパーテストだった。

中学のテストは範囲が予め発表されるので、
その部分だけ丸暗記していけばいい。

これほど簡単なことはない。

数学なら、範囲の問題が全て解ければいいし、
英語なら、範囲の英文が全て書ければいい。

このことになんの価値があるのか、
今思うと疑問だが、
当時はそんなことは考えない。

よい点を取ることが快感であり、
自分の存在意義にさえなっていた。

 

勉強ができれば、回りから一目おかれ、
先生の覚えも目出度くなる。

そうなると、ますますいい点が取りたくなる。

クラブには所属せず、
塾に通って、
日々参考書やら問題集やらと格闘した。

 

そうやって熱心に勉強する時期があってもいい。

それはそうなのだが、
問題は当時まん延していた、
勉強ができることを最上位とする価値観だ。

思春期真っただ中の私は、
高得点を取り続けることで、
徐々にエリート意識を肥大化させていった。

同じ穴の狢

中学を卒業し、
目指す進学校に通い始めた。

高校時代は良い思い出しかない。

実に楽しい学校生活だったが、
それはその学校が持っていた一体感によるところが大きい。

そしてその一体感の正体は、
「薄甘いエリート意識」だったと、
今はそう思っている。

 

各中学でトップを貼っていた連中が集まっている。

勉強はできて当たり前。

流行っていたのは「勉強をしていない振り」だった。

そんなに必死にならなくたって「できる」のが、
かっこいいとされていた。

そんな子供っぽい意地の張り合いも、
それはそれで青春なのだが、
どことなく「選民意識」が見え隠れする。

 

1流大学⇒大手企業というエリートコースが
大手を振るっていた時代の話だ。

進学校に合格した時点で、
半分それに乗ったようなもの。

皆が皆、将来エリートコースを歩く気でいた。

あの学校の持つ独特の明るさは、
そういう意識が根底にある故だったのではないか。

 

ところで、「振り」ではなく本当に勉強をさぼっていた私の高校時代の成績は、
実に惨憺たるものだったが、心配はしていなかった。

「何とかなるだろう」と気楽に構えていたのだが、
結局、1年浪人した後、何とか希望大学に合格することができた。

だが、そこで待っていたのは、
さらに強いエリート意識だった。

 

私は結局、高校・大学と、
「同じ穴の貉」の中で暮らしていたことになる。

その弊害は、既に取り返しのつかないレベルに達していた。

人生の転機

子供の頃の経験は、
時に一生を支配する。

中学時代の成功体験は、
未だに私の人生を牽引していると言っていい。

私が折に触れ

「まあ、何とかなるだろう」

と構えていられるのは、
この時の体験がベースになっている。

そういう意味で、
頑張って勉強したことは無駄ではなかった。

 

だが、その体験は、「エリート意識」という副作用を生んだ。

「エリート意識」は視野を狭め、様々な可能性を否定し、
人生から艶やかさを奪ってしまう。

 

1流大学⇒大企業をエリートコースと呼ぶこと自体、
大分歪んでいる見方だが、
当時の社会の価値観は一元化していた。

それに異を唱える者達が、
ヒッピーなどサブカルを形成していた。

そんな時代だ。

そんな中で、一度植え付けられたエリート意識を振り払うのは、
なかなか難しい。

私の目の前には、
レッドカーペットが敷かれた道が広がっていた。

歩み始めたら最後、回りの風景が消え失せ、
道の先しか見えなくなる。

ひたすら前へ進むしかない、1本道だ。

 

しかし私は結局、レッドカーペットを踏むことはなかった。

大学当時、友人の誘いで芝居のサークルに加わり、
気の進まぬまま活動を続けていいたのだが。。

ある夜、脳天を貫くような衝撃を受け、人生が一転した。

詳しくは以下の記事を参照して欲しい。

ビジネスアイデアの「閃き」はどこから来るのか その源泉を探る

 

この体験が私に新しい地平を開いてくれた。

見渡すと、私の周りには行く本もの道があり、
それぞれが魅力的な未来につながっているように思えた。

そして私は「コースアウト」することを選んだ。

 

あのまま1本道を進んでいたら、
どういう人生だったかと、
今もふと思う時がある。

恐らく、出世と昇給を第一とする、
まっしぐらな人生だったのではないか。

学生時代のエリート意識など、
社会に出ればたちどころに崩壊する。

そこで挫折する者もいれば、
立て直す者もいる。

私がどちらになったかは分からない。

私はエリート意識が崩壊する前に、
自ら否定した。

お陰で、比較的後悔のない人生を歩むことができた。

これでよかったのだと、
今は思う。

 

価値観を変えることは難しい。

価値観は人生の要だ。

だが、1つの価値観に囚われすぎると、
回りが見えなくなる。

方向性を誤り、
可能性を否定し、
気たるべき将来をも潰すことになりかねない。

人生の閑話休題として、
「価値観の持つ危険性」について、
考えてみるのもいいのではないか。

 

 

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IZUMI HASHIMOTO
IZUMI HASHIMOTO

学生時代に友人に誘われ演劇を始め、大学卒業後、就職せずに芝居の道に入る。旅公演で全国を巡るなどしていたが、30代半で塾講師に転身。さらに40歳で全く未経験のIT業界に就職。会計専門のSEになる。60歳で定年を迎えたの機に、新しくビジネスを始めると共に、魂や心にまつわる発信をライフワークにするべく研究・研鑽を重ねている。

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