回りを信頼できないと問題は解決しない
けんすけです。
仕事でも何でも、自分一人でできることなどたかが知れています。
でもチームでことを進めるとなると、一人でやるより、はるかにいろいろな問題が生じてきます。
そんな時、一緒にやる仲間を信頼できないと、いつまでたっても問題は解決しません。
私は若い頃芝居にはまり、20代は就職もせず演劇活動に没頭していたのですが、周りを信頼することの大切さを実感した出来事がありましたので、紹介したいと思います。
プロのプライドが邪魔をする
私は演劇活動を続ける中で、とあるプロの劇団の入団試験に合格し、役者として活動していた時期がありました。
その劇団は、旅公演で日本中を回るのですが、1ステージいくら、とちゃんとギャラが出ます。
カツカツではありますが、何とかそれで食べていくことができました。
書類で職業欄があると「役者」と書いていましたし、その度「ようやくこここまできたか」と誇らしくもありました。
そんなある日、知り合いの素人劇団が役者が足りないということで、助っ人を頼まれました。
ちょうど旅公演のはざまだったので、快くOKして、練習に参加したのですが。。
そこはやはり素人集団なので、練習を見ていると、いろいろと気になってしまいます。
「そこはもっと喜びを表現した方がいいのに」
「こう動いた方がより感情が伝わるのに」
などなど。
あれこれ批判的な言葉が頭に浮かぶので、それをいちいち台本に書き留めていきました。
自分の出番では、たっぷりと感情移入して演じたものです。
自分はプロだ、君たちとは違う!
という意識がなかったと言えば嘘になります。
自分もつい最近まで素人だったことは棚に上げ、プロを意識して、自分が引っ張らねばという気持ちになっていました。
そして練習終わりの反省会では、台本にメモしたことを読み上げ、ひとりひとりにダメ出しをしていきました。
本来それは演出家の仕事で、イチ役者がミーティングの場で言うことではないのですが、それが自分の役目だと勘違いしていたのです。
やればやるほど空回り
演出家はさぞ苦々しく思っていたことでしょう。
他の団員も、迷惑に思っていたと、後で聞きました。
でもプロのプライドに凝り固まっていた当時の私は、そのことに気が付きませんでした。
肝心の演技はどうかというと、自分の演技は自分では見えませんので何とも言えませんが、明らかに浮いていたことと思います。
素人と言えど、日々練習を積み上げていますので、各劇団にはそれなりの色というものがありまあす。
助っ人で入った役者は、ただでさえ浮きやすいのです。
だから本来、助っ人で入ったらまず回りをよく見て、他の役者に合わせていくことから始めなければいけないのです。
それを最初から「自分が引っ張る」と気張って演技をしてしまったら、浮かないはずはありませんね。
演出家も手に余ったのか、私に対する注文も中途半端で、意図を計りかねてしまっていました。
結果、ちぐはぐで違和感のある場面になり、本番が近づくにつれ、焦りは増すばかりです。
何とかしたい、という私の思いが空回りし、ますます問題は大きくなっていくようでした。
みなを信頼して役に没頭
私がみなに煙たがれていることは、うすうす感じたいましたが、解決法がわかりませんでした。
本番は刻一刻と近づいてくるのですが、違和感は付き纏ったままです。
何とかしないと、と焦った私は、余計なことは考えずに役に没頭することにしました。
回りの役者の粗探しをするのを止め、よいところだけを見るようにしました。
いざ粗探しを止めてみると、面白いもので、みなの演技が、私の中でなかなか味のあるよいものに変わり始めました。
そこから他の演技者への信頼が増して、自分が引っ張るのではなく、相手に合わせる演技を意識するようになりました。
公演に向けた問題を解決する方法は、意外と身近なところにありました。
私がみなを信頼し、黙って任せていればよかったのです。
その劇団なりのよさが出れば、それで十分観客を満足させることができます。
助っ人の分を弁えず、へんなプライドから、一人空回りしたことで、問題を大きくしていました。
公演に向けた歯車は、よい方向の回り始めたようでした。
さて、チームで一つのことを成し遂げようとすると、無数の問題が出てきます。
その際、互いの信頼関係がなければ、解決は望めません。
解決を焦り、マウントを取ろうとせず、よく回りを見て、信頼を醸成していくこと。
信頼があれば、大抵の問題は解決に向かうはずです^^
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた。
けんすけ
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