「お前にも罪がある」と言われた時の覚悟はできているか
けんすけ@生涯現役
「60にして立つ」
30年遅れで不惑を目指す
若い頃、芝居にはまっていた時期がある。
大学時代に芝居を始め、
卒業後就職もせず、
演劇活動に勤しんでいた。
その頃やっていた演目のひとつに、
安部公房があった。
安部公房は、
昭和を代表する小説家・劇作家の一人だ。
特に1962年に発表された「砂の女」は国際的にも評価が高く、
映画化もされたので、
ご存じの方もいるかと思う。
不条理な設定の中に、
風刺や真実を切り出していく、
当時、時代の先端を走る作家だった。
私は当時隆盛を極めていた不条理ものが、
好きではなかった。
精緻な筋立てがまずあって、
その中にこそドラマがあると思っていた。
不条理劇の方が発想の自由度が高いが、
きちんとした筋の中にもドラマは書ける。
今では笑い話にもならないが、
当時は「筋を大事にする」という、
自分の考えが最先端だと思っていた。
と、いうわけで安部公房は、
あまり好まなかったのだが、
公演の演目に選んだ戯曲がひとつだけあった。
それが「お前にも罪がある」だった。
死体が喋る
ある夜、仕事を早めに切り上げ、
意気揚々と帰宅した若い男。
男は今夜、彼女を部屋に呼んでいた。
初めて自分の部屋に彼女が来る!
そう考えただけで、
男の心は浮き立ってくる。
関係を深める繊細一隅のチャンスなのだ。
迎える準備をしようと、
うきうきと帰宅した男は、
玄関を開けるなり凍り付いた。
目の前にある、
1面識もない男の死体。
なぜ自分の部屋にあるのか、
見当もつかない。
急いで警察に通報しようとするが、
男はふと思いとどまる。
部屋に死体があったとなれば、
恐らく署に連れていかれ、
いろいろと事情を聞かれるだろう。
自分に罪はないにしても、
今夜の大事なデートが台無しになる。
考えた末、男はベッドの下に死体を隠し、
彼女を迎えることにする。
死体を隠してほっとしたのも束の間、
隠したはずの死体が目の前に現れ、
好き勝手なことを喋り始めた。
確認すると、死体はちゃんとベッドの下にあった。
この喋っている奴は、
言わば幽霊のようなもの。
そんな折、彼女もやってきて、
男は彼女と幽霊の間に挟まり
てんやわんや。
彼女には幽霊の姿も見えず、声も聞こえない。
男の様子がおかしいのを訝り、
ベッドの下が怪しいと見た彼女。
何度もベッドの下を覗こうとし、
その度に焦る男を死体が嘲笑する。
そんなトライアングルのやり取りが続く、
コミカル要素のある作品だ。
台本決めの時、私は安部公房の作品は好かないと、反対した記憶がある。
だが、この作品は、彼にしては不条理度が薄く、分かりやすい。
それで最後は賛成に回ったという経緯があった。
誰もが当事者になる
私が演じたのは主人公の「男」だ。
今思うと、随分と稚拙な演技だったが、
当時はそれでも大真面目だった。
男は徹底した小市民であり、
常に傍観者であろうと努めている。
何か事件があっても、
自分は関係ないと、
見てみぬ振りをする。
彼は自分の生活を守るに汲々としている、
どこにでもいる、小心者だ。
女にモテるわけでもない。
だから彼女の訪問は、
彼にとっては人生の一大事だった。
そんな愛すべきキャラを演じる必要があったのだが、
全くその域には届かなかった。
私の演技のことはともかく、
ここで作者が言いたかったのは、
誰でも当事者になりうるということだ。
どんなに面倒事を避けていても、
気付いたらトラブルの当事者になっている。
知らぬ振りはできない。
例え直接手を下していなくとも、
男は死体にまつわる罪の一旦を担ってしまった。
まさに「お前にも罪がある」だ。
見てみぬ振り、知らぬ振り、
俺には関係ないと思っていても、
それが許されない事態がやってくる。
その覚悟はできているか。
安部公房は、軽妙なやりとりの中で、
見る者に、その覚悟を問うている。
世間で起きている様々な事件も、
同時代に生きている者はみな、
当事者だと言える。
自分自身のことに置き換えてみよう。
自分自身の当事者たれ
自分自身のことに無関心になっていないだろうか。
自分の現在や、
自分の将来や、
自分の過去について。
ただ、流されるままに生きていて、
真剣に向き合っていないとするなら、
それは残念なことだ。
自分が本当にやりたいこと、
心が浮き立つこと、
それを探すこともせず、
言われたままに過ごしていないだろうか。
現実問題として、
やりたいことばかりで生きていくのは難しい。
だから、せめて、
やりたいことを探してはどうか。
それが見つかるだけでも、
人生は変わる。
何とか時間を捻出し、
やりたいことに向き合う工夫をするようになる。
そしてあなたは、その時間を心待ちにするようになる。
人生を楽しむ、何より充実した時間となる。
自分に対し、無関心は許されない。
自分は、自分自身の当事者になるべきだ。
「当事者になる覚悟はできているか」
安部公房が作品で問いかけている通り、
誰もが自分自身も含め、
回りの出来事全ての当事者なのだ。
当事者の自覚を持っていれば、
興味の幅が広がり、
楽しみが増え、
人生を開拓することができる。
ビジネスに取り組むならば、
まず当事者意識を持つことから始めてはいかがだろう。
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