マインドセット

40年前 雷鳴に打たれた話

目安時間 7分
  • コピーしました

けんすけです。

 

ものの見方が180度変わる、そんな瞬間が人生には何度か訪れます。

 

そのきっかけは、戦車の隊列のように、徐々に迫ってくることもあるし、ある日突然、疾風のように襲ってくることもあるでしょう。

 

今までにない、新しい考え方、ものの見方を発見する。

それは確かに「成長」のチャンスでもあると同時に、迷路の入り口にもなり得ます。

ここで少し、私の若い頃のをお話しをさせてください。

 

論理一辺倒の思春期

もう40年以上前になります。

私は子供のころから勉強好きで、そこそこ成績もよかったもので、よりよい成績を取ることに邁進していました。

成績がよければ、親や教師から認められるし、何よりよい点を取る快感が心地よかったもので、勉強することに何の疑いも持っていませんでした。

 

突然ですが、理論か感性か、あなたはどちらを重視していますか。

これについては、人それぞれ、その人の持って生まれた性質によるところが大きいかと思います。

この頃の私は、まさに論理一辺倒で、「この世で理屈で説明できないことはない」と信じていました。

これこそ妄想にすぎないのですが、勉強ばかりしてきた身としては、本で学び、本で知ることが全てだったのです。

 

本で知識を得ることが自分のアイデンティティとなり、得た知識を体系立てることで満足していました。

希望の大学に入り、学生生活を送る間も、次なる目標に向け、勉強を進めていました。

そんなある日、親しい友人が劇団を作ると言い出しました。

 

雷鳴

芝居には興味なかったので、入団の誘いは保留していたのですが、結局友人の熱心さに負け、手伝うことになりました。

脚本選びから始まり、素人ながらあれこれ議論し、解釈しながら芝居を作り上げていく。

その過程は、思いのほか魅力的で、これまで「力を合わせる」ということをしてこなかった自分としては、新鮮でもありました。

公演後の満足感、打ち上げでの開放感も心地よく、徐々に芝居に傾倒していったのですが、当時はまだ、新たな趣味を見つけたという程度のものでした。

 

何度目かの公演の後、次に芝居をどうするか、という話し合いがあったのですが、みなが行き詰まりを感じていました。

自分らに相応しい「良い本」が見つからなかったのです。

日本、海外の脚本を、みなで読み漁ったのですが、どれもピンと来ません。

そこで思い切ってオリジナルをやろう、と話が進み、なぜか私が書くという話になりました。

なぜ脚本など未経験なのに引き受けたのか、その経緯はもう思い出せませんが、ともかく、書かなければならなくなって、日々思い悩みました。

論文しか書いたことがない私が、脚本など書けるはずはありません。

考えても考えても、何も浮かばず、鬱々とした日を過ごしていました。

 

そんなある夜、布団の中で冴えた頭を持て余していた時、突如雷鳴が脳を直撃したのです。

 

論理か感性か

オリジナル芝居の全ての場面が、同時に浮かび上がったのです。

無数の場面が、同時に脳に焼き付けられたかのような、まさに雷鳴と呼ぶに相応しい衝撃でした。

 

全ての場面が、あまりに鮮やかだったので、メモする必要もありません。あとはただ、それを文字に起こしていけばいい。

その時「書ける」と確信しました。

 

その時の衝撃が、私の考え方、見方を180度、ひっくり返しました。

「論理で説明できないことはない」という考えから、「論理ではなにほども説明できない」に変わったのです。

私の受けた衝撃は、論理では説明できないことは明らかでした。

あの大量で鮮明なイメージ群は、どこか「外部」から訪れたとしか、解釈のしようがなかったのです。

 

ではその外部とは何か? これは説明不能なのですが、ともかく自分の脳以外のどこかです。

ストーリー作成未経験の私の脳に、あんな芸当ができる道理がありません。

 

成長か迷路か

この経験は私の人生を、予想もしない方向に捻じ曲げていきました。

学者になるはずだった自分が、気がついたら就職もせず芝居の道にのめり込んで、劇団に所属していました。

 

ちなみに私を芝居に誘った友人は、卒業後はカタギのサラリーマンになったので、ここで道は別れました。

私は脚本を書きながら、役者として旅公演をしたり、自分で劇団を立ち上げ公演を打ったりと、活動の幅を広げていきました。

しかし、あの夜の衝撃が、その後再現することは、ありませんでした。

 

 

若い頃を振り返り、今思うことは、それが正しい道であったのか、自分の成長につながったのか、という疑問です。

もちろん後悔はありません。

俯瞰すれば人生に失敗はない! と思いますので、全ては無駄ではないはずです。

とは言え、あの夜の雷鳴がなければ、考え方を180度転換しなければ、学者としてより「手堅い人生を送れた」ことは確かでしょう。

どちらがよかったのか、一概には言えませんが、考え方を変えればその後の人生も変わる、という好例ではありますね。

 

新しい見方、考え方を得ることが、そのまま成長につながるとは言えませんが、人生を変えるきっかけにはなります。

勇気を持って、チャンスをつかんでみてください。

 

  • コピーしました

 この記事に関連する記事一覧

この記事を書いた人

IZUMI HASHIMOTO
IZUMI HASHIMOTO

学生時代に友人に誘われ演劇を始め、大学卒業後、就職せずに芝居の道に入る。旅公演で全国を巡るなどしていたが、30代半で塾講師に転身。さらに40歳で全く未経験のIT業界に就職。会計専門のSEになる。60歳で定年を迎えたの機に、新しくビジネスを始めると共に、魂や心にまつわる発信をライフワークにするべく研究・研鑽を重ねている。

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

URL (空白でもOKです)

コメント

トラックバックURL: 

IZUMI HASHIMOTO

IZUMI HASHIMOTO

学生時代に友人に誘われ演劇を始め、大学卒業後、就職せずに芝居の道に入る。旅公演で全国を巡るなどしていたが、30代半で塾講師に転身。さらに40歳で全く未経験のIT業界に就職。会計専門のSEになる。60歳で定年を迎えたの機に、新しくビジネスを始めると共に、魂や心にまつわる発信をライフワークにするべく研究・研鑽を重ねている。

LINE登録はこちら
カテゴリー
人気記事