リアルなら真っ暗でも見えてくるものがある
こんにちは、けんすけです。
サイバー空間が大手を奮っている昨今、リアルはどんどんその居場所を失いつつありますね。
仕事でも買い物でも、WEB経由で何でも済んでしまうのは、やはり便利です。
私も現在テレワークで仕事をしていますし、買い物はAmazonです。
家から一歩も出ない日も多いです。
でも、特に家で仕事をしていると、ずっと家にいることが本当に便利なのか、疑問に思うこともあります。
そんな時に、ふと、若い頃のことを思い出しました。
私は若い頃芝居にはまり、旅公演をしながら、ツアーバスで全国を回ったりしていました。
薄暗い舞台の袖から、煌々と照らされた舞台と、その上で輝く仲間の演技を見ながら、出番を待つ時の緊張感、高揚感は、今でもはっきりと覚えています。
いざ舞台に出ると、もう俎板の上の鯉と同じ、逃げることはできません。
何が起ころうと、自分の瞬発力だけが頼り、自力で切り抜ける以外にはありません。
相手役がセリフを飛ばす、スタッフがキッカケを逃す、などなど。
セリフを忘れ、頭が真っ白になり舞台に立ち尽くすという夢など、何度見たかわかりません。
(幸運なことに、そういう事態には一度も遭遇しませんでしたが。。)
舞台から客席を見ると、真っ暗で、客の様子は全くわかりません。
およそ1000人くらい入っているはずなのですが、シンとしてもの音ひとつしないのです。
どんな人が来場して、どんな顔で、どんな姿勢で見ているのか。
芝居の目的は、お客さんに見てもらうことです。
もっと言うと、お客さんの期待に応えることです。
お客さんが、わざわざ足を運ぶのは、当然ですが、舞台に対する期待があるからです。
それに応えられなければ、演ずる意味はありません。
だから、舞台上で役者が一番気にするのは、お客さんの「気持ち」です。
自分らが、お客さんの「気持ち」をしっかりと掴んでいるかどうか。
芝居を進めていく間にも、意識は常に客席に向いています。
セリフを掛け合っていれば芝居が成立する、と思ったらそれは大間違い。
セリフは芝居の一部にすぎません。
もちろん、照明や音楽などの演出もありますが、それも芝居を装う装飾に過ぎません。
芝居を成立させているのは、舞台と客席を一体とした「空間」です。
客席は芝居を形作る空間の一部であり、客席が芝居の出来を左右します。
セリフも演出も全く同じなのに、客席次第で、よい芝居にもなるし、またその逆にもなります。
先ほど、舞台から見る客席は「真っ暗」だという話をしました。
何も見えないのですが、役者は見ている人の「気持ち」を感じることができます。
お客さんひとりひとりが、どう感じているかは、分からないです。
でも、1000人という観客の塊が、どう感じているかは、わかるのです。
2000の目が自分の一挙手一投足を見逃すまいとしている、そう感じた時に、集中力は極限まで高まり、セリフに力がこもります。
その力が相手役にも伝わり、舞台が完成されていくのです。
役者の観客の「空間の共有」が、芝居世界を作り上げていくのに、絶対に必要でした。
思い出話はこのくらいにして、現実に話を戻しましょう。
私は今、リモートで仕事をしています。基本、PC作業なので、リモートでも仕事は進みます。
進みますが、仕事仲間との空間は共有されていません。
各メンバーの、名前は分かるものの、顔は見たことがありません。
名前はWEB上の記号に過ぎず、そこから人間は読み取れません。
仕事に限らず、空間を共有してこそ分かることは多々あります。
リアルで話せば、相手の「気持ち」を感じ取ることができ、それがコミュニケーションの本来の姿でしょう。
WEBは「一見」便利なようですが、見かけの便利さの影にさまざまなデメリットが潜んでいます。
空間を通してこそ伝わるものを大事に。
芝居、コンサートなどエンタメだけでなく、仕事でもリアルを重視していきたいものです。
コメントフォーム